創業は1956年 日本最初の超硬チップソー「オリオンチップソー」の誕生。
当時それまで一般的に使用されていた高速度工具鋼(HSS)製の丸鋸に比べ、耐久性は約60倍。回転数は3倍位の高速切削に耐え、しかも切削面はカンナで仕上げたようにきれいである、というのが当時のキャッチフレーズであった。
評判は評判を呼び、オリオンチップソーは製造が間に合わない状態が続いた。
その後、それまで従来の炭素鋼や高速度鋼の丸鋸を製造していた大手メーカーもこの様なチップソー製造に参入してくる事となった。
それ以来、価格はいつも安く設定してくる事から、常に品質で価格差以上の価値を求められ、品質第一主義を掲げ今日に至っている。
その後も新規参入は後を絶たず、チップソー製造業者は、全国で130社以上ともいわれる程に成長した。
その中でも当社は「品質第一」の看板を守る姿勢を鮮明にして競ってきた。
幾多の厳しい経済状況の試練に立たされる度に、品質で価格差を埋める努力を積み重ねる事の連続であった。
日本で最初の「人造多結晶ダイヤモンドチップソー」の開発・製品化
1980年には、日本で最初の「人造多結晶ダイヤモンドチップソー」の開発・製品化に成功。
またまた従来チップソーの100倍の耐久性を謳って木工産業界に衝撃のデビューを成し遂げた。
機械よりも高い価格の刃物出現、等と新聞紙上をにぎわした。
作る人も、売る人も、使う人もその価値を共有した歴史的な出来事と言えよう。
しかし、これとてその恩恵に浸っている間もなく、当木工関連業界のみならず日本の最大手企業等も参入。
また、従来業界からも続々と新規参入が相次ぎ、あっという間に価格競争に巻き込まれていった。
その後は価格での対応も含めながら今日に至っている。
経済産業省「戦略的基盤技術高度化支援事業」の認定も受け、先端技術研究開発にも取り組み革新的技術開発にも成功した。
「日本に残れるものづくり」、「オンリーワン企業を顧客と共に」
現在わたしたちオリオン工具製作所は、
「日本に残れるものづくり」
「オンリーワン企業を顧客と共に」 を目指している。
これからは、また新たな付加価値創造を追求し、オリオンブランドを利用下さる全てのユーザーに喜んで頂き、信頼されるメーカー目指す。
「日々新た」というキャッチフレーズを基に、新時代のオリオンブランドを作るべく挑戦中である。
1956 | 静岡県浜松市広沢町において大澄武雄が創立 |
1960 | 浜松市上島町1001に移転 |
1963 | 浜松市上島町2156に移転 |
株式会社に改組 | |
資本金500万円 | |
1964 | 資本金1000万円に増資 |
1967 | 厚生会館落成 |
1970 | 資本金2000万円に増資 |
1972 | 代表取締役に大澄誠一が就任 |
1975 | 通産省国庫補助金を受け、国内初自動ロー付け装置完成 |
1977 | 特殊刃物、米国特許取得 |
1978 | 業界初めてのスパイラルカッターの製造販売を開始 |
1979 | 資本金4000万円に増資 |
1980 | 国内初ダイヤモンド刃物の開発・製品化に成功 |
1982 | 日本国内においての超硬刃物研磨技能制度を確立・実施 |
1983 | 本社社屋拡充 |
スウェーデン・FFVトランスミッション社ETP油圧グリップの販売提携 | |
1985 | 大型チップソー(φ800-φ1700)の製造開始 |
開発課設置、金属加工分野の開拓 | |
1986 | ダイヤモンド刃物部門の拡充 |
1987 | 金属加工部門の拡充 |
1992 | 都田テクノポリスにODITEC竣工 |
1994 | 代表取締役に大澄信行が就任 |
2005 | ODITEC、本社組織と統合 |
2006 | 新社屋完成、浜松市浜北区染地台5丁目1-1に移転 |
2010.10 | 浜松航空機産業プロジェクトSOLAE設立・参加 |
2011~2013 | 経済産業省戦略的基盤技術高度化支援事業「航空機主翼等CFRP切削加工技術の開発」採択される |
2013 | 設立50周年 |
2014.9 | 代表取締役に大澄博之が就任 |